ニュース記事要約:マレーシア政府は旧正月中の家族の集いを許可(雑感:正月の思い出)

マレーシアニュース

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マレーシアニュース記事訳:

マレーシア政府は旧正月中の家族の集いを許可

 

ニュース記事:CNY reunion dinners allowed again, says National Unity Minisrty,

For families within 10km of each other

 

出典:

CNY reunion dinners ‘allowed’ again, says National Unity Ministry, for families within 10km of each other
KUALALUMPUR,Feb7—TheannualreuniondinnerontheeveofChineseNewYearis“allowed”tobeheldthisThursdayduringthemovementcontrolorder(MCO),theNational...

 

 

記事の超簡単要約:

2021年2月7日マレーシア政府のヤアコブ上級大臣は、『旧正月の前夜に開催される家族での夕食の集いを許可する』と発表しました。

 

またヤアコブ上級大臣は、『集いの人数は15名までとし、10Km以内に住む家族に限定する』と述べました。

 

 

この記事に関する大丸の雑感

ここからは、大丸の雑感です。

 

私は現在マレーシアに駐在しています。

マレーシア政府は、旧正月中の家族の集いを禁止するとしていましたが、

昨日に方針を撤回し『15名までの家族の集いを許可する』と発表しました。

マレーシア政府は、華僑からの強い反発により方針を撤回したようです。

 

 

まとめ:

マレーシアの旧正月にも、日本と同じような『お年玉』=『アンパオ』の

文化があります。

 

今日は、私の正月の思い出の『お年玉』について書きます。

私が幼少時代、毎年決まって、新年の1月2日は、

父方の祖父の家に親戚で集まっていました。

そこで、おせち料理を食べて、祖母や、親戚のおじさん、おばさんからお年玉を貰うのです。

 

私が小学校の時のお年玉の相場は、

祖母:10,000円

親戚:3,000円×5家族=15,000円

合計:25,000円 でした。

 

毎年、祖母のお年玉袋は、大きく、立派のものでした。

そのお年玉袋の中には、必ずピン札の1万円札が入っていました。

私は、今でもピン札を見るたびに、祖母やお年玉袋のことを思い出します。

また祖母からお年玉袋を受け取る時は、

祖母の前で正座をして、両手と額を床につけて、お年玉袋を受け取っていました。

これは強烈に思い出として記憶に残っています。

 

私には、1月2日に特別な毎年貰えるお年玉がありました。

それは、祖父からのお年玉です。

祖父の家は、三階建てでした。

宴会は、2階で行われていました。祖父は、基本的に一人が好きで、

宴会に参加せずに、いつも1階でテレビを見てお酒を飲んでいました。

 

ある年から、私が祖父の横でテレビを見ていると

祖父は私に、『好きな物を買いなさい』と言って、

1万円をそっと手渡してくれました。

 

その翌年から、私は正月の集いの時は、親戚の同年代の子供達とも話さず、

宴会にも参加せずに、じっと祖父の横に座って祖父の1万円を待つのです。

隣に座ってすぐに1万円をくれる年もありましたが、帰宅する直前になって

1万円をくれる年もありました。

祖父が亡くなるまで、正月に祖父は孫の私にだけ1万円を渡し続けてくれました。

 

私の正月の思い出は、『祖母がくれる1万円』と『祖父がくれる1万円』です。

社会人になっても、お金を大事に扱う気持ちを忘れないのは、

祖母や祖父の教えだと感じています。

 

祖母も祖父も他界しましたが、年間行事の正月やお年玉の度に、

祖母と祖父が私の記憶に蘇ってきます。

 

最後まで読んで頂いてありがとうございました。

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